僕はいかにして打楽器奏者になったのか【その8~高校時代(恩師の話)~】
高校時代の吹奏楽の顧問は音楽科の先生だった
音大自体はコントラバスを専攻して卒業していたが、ピアノがとても上手く、また作曲もする方だった
ベルリオーズの大ファンで、学生時代はベルリオーズの誕生日にケーキを買ってきて学生仲間と祝い、その後ベルリオーズの墓参りをした際には、その場で大泣きをしたそうだ
そして、ベルリオーズ讃歌なる曲を作り、以前に他の高校にいる際に発表した・・・など、少し変わった方だった
僕はこの先生に会ったことによって音楽への価値観が相当に変わったように思う
先生の口癖はespressivo。
音楽は歌わないと伝わらない。自分が歌っていると思っていても、その程度では聴衆には届かない。音楽はいつだってmolto espressivoだ・・・と
それまで音楽が音の羅列だ・・・とまでいかないまでも幾何学的に音符を追いかけていた部分があった
譜面が先ではなく、音楽が先にあってそれを再現する為に譜面があるという当たり前のことを気づかせてくれたのが先生だった
高校時代、チューバ(低音)、打楽器、ファゴット(中低音)、そして学生指揮者といった違った楽器で違った側面から音楽を歌うということはどういうことなのか?という勉強をさせてもらえうことができたことにとても感謝している
この恩師がいなければ、今僕が音楽を続けていることはなかっと思う
そして今ほど音楽の素晴らしさに気づいていなかったとも思う
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